『キネマの神様』
2021年製作/日本映画/上映時間:125分/G/2021年8月6日日本公開
監督:山田洋次
出演:沢田研二
永野芽郁 ほか
松竹映画の100周年を記念した作品で、人気作家・原田マハの同名小説を『男はつらいよ』シリーズなどの山田洋次監督が映画化。
家族から白い目で見られるダメ親父の物語が描かれていきます。
2022年・第45回日本アカデミー賞において作品賞・脚本賞ほか全8部門にノミネート。(さ、さすが山田洋次監督への忖度・爆)
あらすじ
ギャンブル狂いのゴウ(沢田研二)は、妻の淑子(宮本信子)や家族にもすでに見捨てられていた。そんな彼が唯一愛してやまないのが映画で、なじみの名画座の館主テラシン(小林稔侍)とゴウはかつて共に映画の撮影所で同じ釜の飯を食った仲だった。若き日のゴウ(菅田将暉)とテラシン(野田洋次郎)は、名監督やスター俳優を身近に見ながら青春を送っていた。
(シネマトゥデイより)
作家・原田マハの小説を山田洋次監督が松竹映画100周年を記念して映画化した作品です。
主演を務めるのは沢田研二と『アルキメデスの大戦』などの菅田将暉。
共演に永野芽郁、バンド「RADWIMPS」のボーカルで『泣き虫しょったんの奇跡』などの野田洋次郎のほか、北川景子、寺島しのぶ、小林稔侍、宮本信子ら。
dTVにて鑑賞。
初めての鑑賞になります。
この次にレンタルしてあるアメリカ映画のホラー映画を鑑賞予定だったので、できるだけ暗くなく、グロくない日本映画を探していたら、本作を見つけました。
まあ、監督が監督なので、思いっきりハードルは下げての鑑賞でしたが・・・。
映画監督を目指し、助監督として撮影現場で働く若き日のゴウは、撮影所近くの食堂の娘・淑子や仲間の映写技師テラシンとともに夢を語らい、青春の日々を駆け抜けていた。
しかし、初監督作「キネマの神様」の撮影初日に転落事故で大きなケガを負い、作品は幻となってしまう。大きな挫折を味わったゴウは夢を追うことを諦めてしまい、撮影所を辞めて田舎へと帰っていった。
それから約50年。かつて自身が手がけた「キネマの神様」の脚本が出てきたことで、ゴウの中で止まっていた夢が再び動き始める・・・。
原作があるというのはエンドクレジットで知りました。
原作を読まれた方、原作のファンの方はかなりご立腹のご様子で・・・。
一度観るのをやめました。
しかし、代りの作品がなかなか見つからず、仕方なく(まだフィリップも出てきておりませんでしたし)続きを観ることに。
まず酷かったのは、代役だから仕方ないところはあるとは言え、沢田研二の演技。
主人公・ゴウの回想シーンになり、菅田将暉さんが出てきてから少し観れる映画になってきました。
ゴウは松竹・大船撮影所の助監督をしており、映画と言うものに夢を抱いていた。
その自分が撮りたい映画の話しを始めます・・・。
「映画の主人公の男がスクリーンから客席にいる女性の方へ目をやる。何回も。そして
『また来てくれたんだね』と言って、その主人公の男はスクリーンから客席へ降りてくる。そして、映画の主人公の男と女性客は恋に落ちる。どうや?こんな映画誰も観たこと無いだろ」。
周りにいる一同拍手喝采。
・・・おいっ!元ネタはバスター・キートンのサイレント映画らしいですが、たしかにこの時代にはできておりませんが、映画の公開の2021年にはウディ・アレンの名作『カイロの紫のバラ』(1985)はすでに公開され、それを模倣した綾瀬はるかさん主演の『今夜、ロマンス劇場で』(2018)なる映画も製作されております。
(ヘンタイ趣味とは言え)ウディ・アレンをバカにしてはいけない。
『キネマの天地』(1986)のときも感じましたが、結局のところ、山田洋次監督が愛している(いた)のは映画では無く、松竹、そして大船撮影所だったということを想像を絶する古くさいスタイルで映し出しただけの映画でした。
小津安二郎監督を追い求め続ける。
小津監督を尊敬する気持ちはとても大切だと思いますが、小津監督が亡くなられて、すでに半世紀以上。
いつまでもその影を追い続けていたのでは先に進めないのではないでしょうか?
山田洋次監督も、松竹も・・・。
※ここからネタバレあり※
何ともまあ、昭和の人が観ても驚いてしまうような枯れ果てたギャグのオンパレード。
いよいよ自分の温めていたアイディアの映画が作られる。
映画監督としての撮影初日、緊張でお腹を下し、何度もお尻に手をやりトイレへ駆け込むゴウ。
昭和30年代の映画小屋なら爆笑に包まれていたかもしれませんが、令和になった今、こんなギャグ見せられても困ります。
その映画はゴウのケガのため撮影中止になり、お蔵入り。
その古いシナリオを孫が見つけ、感動しPCで現代風にして、シナリオのコンクールに出品するという話しが出た途端、もう大賞を取ると見えてしまう展開。
※ラストシーンをネタバレいたします。ご注意を。※
そして受賞に喜び、憧れだった先輩の映画(名前は変えておりましたが、小津安二郎監督の『東京物語』)を映画館に観に行くゴウ。
「映画館で死ねれば本望」と前置きし、後ろの席にいる孫に「あの女優(北川景子さんが演じております。モデルは原節子さんだと思います)綺麗だろ?オレ知り合いだったんだぜ。今からヒョコッとこっちに顔向けて『あらゴウちゃん、ずいぶん老けちゃったのね』なんて声掛けてきたりして」と言ったら、その通りの展開に・・・。
な、なんでこれから起こる、もしかしたら感動的な展開になるはずのものを前もってネタバレしちゃうのか?
劇中散々叫ばれる、映画のタイトルにもなっている”キネマ(映画)の神様”。
当初、主人公・ゴウを演じる予定だった志村けんさんが新型コロナウィルスによる肺炎のため降板、後に死去されてしまいました。
それによって本作は製作そのものが危機的状況に陥ってしまいました。
まるで劇中のゴウの初監督作品のように。
なぜ、キネマの神様は志村けんさんを連れて行ってしまったのか?
かなり酷なことを書くと、このような駄作は作らせてはいけないというキネマの神様からのお告げだったのではないでしょうか?
もちろん、すべてが酷かったワケではありません。
若い俳優さんはご自分の仕事を全うしておりました。
リリー・フランキーさんもいつも通りいい味を出しておりました。
ですが、どの俳優さんも顔に書いてありました。
「このシナリオではいい映画になるはずが無い」と。
映画監督と言うと芸術家、またはエンターテイナー的な人を指すと思います。
山田洋次監督はどちらでも無く、ただの松竹の会社員にしか思えません。
小津監督や黒澤明監督のように海外で評価されたことも少ないです。
この映画の公開が2021年8月6日。
8月20日にカンヌ国際映画祭で3部門、翌年(本年度)アカデミー賞において国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が公開されております。
もし、この『キネマの神様』を海外に持っていってしまっていたら、アカデミー賞ではなくラジー賞行きだったのではないでしょうか?
山田洋次監督を「凄い」と思ったのは『幸せの黄色いハンカチ』だけです。
たしかに『男はつらいよ』シリーズは松竹に多大な利益をもたらしました。(あの低予算であの興行収入ですから。『アバター』は続編公開に12年掛かっておりますが、このシリーズはシナリオ完成から映画公開まで2ヶ月という早さ)
ですが、このシリーズによって、1人の俳優さんのキャリアを奪ってしまったと言えると思います。
1人の俳優さんに同じ役を40数回演じさせる。
渥美清さん、俳優として、もっといろんな役柄を演じたかったのではないでしょうか?
(ショーン・コネリーも”ボンド”と言われるのを相当嫌がっておりました)
ですが、あのシリーズのせいで、それが不可能になってしまった。
それを考えると山田洋次監督の罪は大きいように感じます。
志村けんさんが亡くなられたのなら、映画の製作を中止すべきだったのでは?
沢田研二が劇中唄う「東村山音頭」は故人への冒涜にしか聴こえませんでした。